行ってきました札幌。
ワンコ二匹は いつも預かってくださる方のお宅へ。
潤沢なおうちなので ワンコたちも
とても大切にされているらしく
帰ってくると なんだかノーブルな感じになっている。
明日 ワンコたちは我が家に戻るのだが
どんなふうになっているか 楽しみ。
小公女のように また我が家のつつましい暮らしに戻るのだ。
ニャンコは部屋の中のクーラーをかけっぱなしにして
餌とお水をたっぷりおいておけば
お利口に 一人で留守番できる。
・・・
10日 午前中のレッスンを済ませ
すぐに施設に母を迎えに行き
タクシーで羽田へ。
飛行機は往復ANA。
事前にアシストサービスを申し込んでおいたので
至れり尽くせり 何の心配もなく札幌に。
空港からタクシーに乗ろうとしたら
母がバスのほうが 高いところから景色が見れるから
バスに乗りたいというので バスに。
ホテルは 母が知っている唯一のホテル グランドホテルに。
昔はグランドホテルしかなかったらしい。
着いたのは夕方なので ホテルのレストランで食事。
和食の懐石コース。
スゴイ食欲。
ただ 何故札幌に来たのかということが理解していないので
何度も 私に尋ねる。
こちらも仕事がないし 余裕があるので
とても 優しく 繰り返し同じ説明をする。
わあ こんなにやさしくなれるのだ、と
自分で感心するやらびっくりするやら。
普段だったら「さっきも言ったでしょ」と つい言ってしまうのだが
今回の旅では 以下の質問に200回以上 繰り返し答えたと思う。
▽今年は2011年?
▽あら あなたはいくつになったの
▽まりは どうしてるの?結婚したの?
▽なんで札幌にいるの?
今回は 母の母校 札幌庁立・北高 というところの
同窓会に出席するのが目的の旅だ。
一度 札幌に連れて行ってやりたいと思っていたので
同窓会のお知らせが来たときに
ちょうど良い機会と思い 思い切って仕事を調整した。
翌11日は午前中 ホテルから近い札幌道庁へ車椅子を押して連れて行った。
女学生時代 道庁の敷地を抜けて 学校に通っていたと よく話していたからだ。
道庁の芝生で 母と一緒に写っている赤ん坊のころの私の写真もある。
札幌は暑いとはいえ 東京に比べたら とても過ごしやすい。
夕方からはロイトンホテルでの同窓会に出席。
同期の方たち 8人と一緒のテーブル。
昔のことは 実によく覚えていて
みんなと 昔の愛称で呼び合って楽しそうに話していた。
他の方たちはみなしっかりしていて
母だけが ボケているのだが
みなさん優しくて 繰り返しの昔話にも きちんと付き合ってくださる。
ありがたいことだ。
母も とっても喜んで キャッキャッと楽しそう。
連れてきてヨカッタ・・・。
ところがホテルに帰ると もう同窓会のことは忘れている。
レレレ・・・
でも 写真を見せて 話すと「あら夢じゃなかったの」という。
そして「いやだわ。いよいよ私もボケてきたのかしら」と。
12日の帰る日も 母の友人が
連絡し合ってくれたらしく ホテルまで会いに来て、
昼食をとりなか゜ら 四時間くらいも 付き合ってくださった。
また来年も会いましょう と皆さんに送られて 母上機嫌。
帰りは思い切って 空港までのライナーに乗ってみる。
JRも 事前に話すと 電車の乗り降りを手伝ってくれるので
まったく問題なく 空港まで行くことができた。
さすがの私も 帰りの電車あたりでぐったりしてきた。
食前食後の薬、 頻繁なトイレの介助、、、
同じ姿勢で長く座っていると
足や腰の具合が悪くなってくるらしい。
そうなると呼吸が 過呼吸気味になってくるので要注意。
ただ 子供と同じで すかさずお菓子を差し出すと ケロッと治るので
バックの中は お菓子でいっぱい。
・・・というわけで 12日の夜に無事帰ってきました。
せっかくの札幌行だから 母が寝たら「銀巴里」に行こうと思っていたのに
興奮したのか 全然寝てくれなかった。
私と一緒にテレビで オリンピックを見ていたりする。
まあ この何年間も 母とこんなに長く一緒に過ごすことはなかったから
よいか・・・。
自己満足の親孝行てした。
・・・・・・・・・・・
帰ってきたら やっぱり仕事は山積み。
その間を縫って 明治座で「大江戸緋鳥」という
大地真央、湖月わたる、貴城けい と宝塚ogの出るお芝居へ。
いい気分転換になった。
そして 今日の古賀さん・芳賀さんのサロンライブ、
お盆だというのに
22名ものお客様が来てくださって、うれしいこと。
おまけに 今度 テレビの「アド街っく ナントカ」という番組で
自由が丘を取り上げる中で
ラマンダと シャンソネットライブも取り上げてくれるらしい。
たぶん 少ししか映らないのだろうけれど
取り上げてくれるだけで うれしい。
・・・というわけで もう八月も半分終わりそうです。